跳ねる柑橘の段ボール箱

柑橘系アラサー男子が、思うところを書くところ

【雑感】メディアの発信者が大事にしたいこと【柑橘メディア論】

こんにちは、跳ねる柑橘です。

Twitterや自己紹介記事でもちらっと書いていますが、

私はざっくり言うとメディアの世界の人間です。

この仕事は、フリーライター、Webライター、ブロガーといった、

ネットメディアを舞台に活躍されている方々と共通することも沢山あります。

なかでも一番共通するのは、

それがテレビやラジオであれ、新聞や雑誌であれ、

ネット配信やブログ、なんかのサイトであれ、

「メディア」というツールで「発信する」ということです。

 

そこで今回は、生意気にも「柑橘メディア論」などと銘打ち、

本業ではメディアの世界におり、

また個人でも兼業ブロガー&ライターとして活動を開始した私が、

感じることを書きたいと思います。

よろしくお願いします。

 

 

(目次)

 

 

 

 

 


根本的な、情報を仕入れるということ

冒頭でも書きましたが、

既存メディアとネットメディアの最大の共通点は、

手持ちの情報を伝える「作品」をメディアで発信することです。

ドキュメンタリー、動物番組、教養番組、

本や映画のレビュー、旅行記、おすすめショップや商品の紹介…

媒体や題材が何であれ、その「作品」で実在するものを伝えるのであれば、

まずその存在を知り、それを体験して、感想を交えて事実を伝える。

これが基本です。

 

そのためにはリサーチ、取材が欠かせません。

ネットが普及した現代、何かのきっかけで知った情報を、

まずはネットでリサーチするのは自然の流れです。

ただ、昨今の「リサーチ」という営みにおける危機は、

ネットでの情報に終始してしまうことです。

大学生の論文でもそうですし、ブログ記事、

ネット配信のニュース記事にも言えることです。

 

本を読め、人に会って話を聞け、現地に行け

これは前時代的な響きを伴う言葉です。

しかし今もなお金言であり続けています。

既存メディアは間違いなく衰退しており、その原因は様々ありますが、

衰退しつつあるメディアのとる手法すべてを悪手とする考えは誤りです。

そして、衰退しつつある今もなお、新聞やテレビは

非常に有力な発信ツールであり続けていることも、無視してはいけません。

ネットは、新興勢力として間違いなく比肩するメディアではありますが、

まだ他のすべてを凌駕したわけではないということです。

 

さて、2016年末という時代でもまだ、ネットでのリサーチだけで作られた作品は、

専門書籍を読み、当事者の話を聞き、

現地の空気を感じて作った作品に勝ることはありません。

その理由を次に書いてみたいと思います。

 

本を読め

今の時代、多くの「経験者」がその情報をネットにあげてくれている。

その知の集積を利用すればいいじゃないか。

そう思うところは私もあります。


しかし、ネットに集積された知には、

オーソライズされていないものが無数にあります。

ネットリテラシーというノウハウはそれを見抜くためのものですが、

私は、ネットリテラシーというもの自体がまだ洗練されていない

と思っています。

 

本はその点で何が違うのか。

まず、各分野の主要な本の著者や記事の執筆者が、

その分野で確かな地位を持っている確率がネットに比べてまだまだ格段に高いこと。


次に、編集や校閲、権利処理など、

専門のチェックを経て世に出ているものが大多数であること。

ネット上の記事は、そうした体制を構えるメディアも勿論あります。

しかし未熟なもの、また情報発信を甘く見ているメディアも多いです。


そして、鮮度を求めないある種重厚な知識の場合、

売り上げに伴う重版や著者の実績など、

時間や評判というふるいにかけられた「名著」として残っていること。

これはネットと紙の得意とする情報の質が異なることにも起因しますし、

ネットの中にも電子書籍などの分野が進出している領域ですが、

それでもまだ紙媒体の方が圧倒的に強いです。


一方で、鮮度の高い情報ではネットは圧倒的な強さを持ちます。

そしてある情報に対する反応速度も圧倒的。

何より情報の受け手の反応がまた発信され他者が見ることが出来る(Buzzる)

というネットの特性は紙媒体が絶対に勝つことが出来ない点です。

 

人に会って話を聞け

経験者の声はネットに数多く転がっていますが、

それは本当にあなたが求めている性質の意見でしょうか?

ここで仮に、いまあなたが求めている声が、

ある地方の自然に詳しい人の声だとしましょう。

ネットで見つけたその記事が、

その第一人者による発信であればこの懸念は不要のものです。


ですが例えばそれが、

発信者としての自覚と責任を持つ人というより、

ただブログを書いている一般の方だとしたら。

ちょっと旅行先で見てきただけの人だとしたら。

もちろんこんな生の体験談が!という価値はありますが、

それは本来あなたが求めていた声ではないですよね。


この例で言いますと、その地方の自然に本当に詳しい人は、

その地方のハイカーかもしれませんし、

公園の管理者や役所の緑化係の人かもしれません。

そこで緑化事業を行う若者かもしれませんし、アマチュア写真家かもしれない。

しかしそういう人の多くは、

まだまだ発信者にはなっていない場合がほとんどです。

若手実業家や、組織の風通しや広報力を改善したいと考える

若手職員であれば発信しているかもしれません。

ですがそれはまだレアケースです。


詳しい人の存在を知ることがまず一苦労ですが、

まず誰が詳しいかを考えて、あてをネットで探す。

こういう時はネットは本当に便利です。

そしてもし詳しい人がいるとわかれば、直接会いに行く。

そうすれば現地の空気を感じることが出来て一石二鳥。

難しければ電話です。

メールはそれらが困難な場合にとる手段でしょう。

直接、または電話口で話すと、うっかり聞けたオフレコトークやこぼれ話も聞けて、

本筋よりそっちのほうが面白かった、なんてのはザラです。

メールでそれはあまり望めません。

 

現地に行け

景気の悪いいま、経費は削減され、

海外はおろか国内であっても現地に行くことは簡単ではありません。

だから何かの組織に所属している場合は現地に行くのは、

企画を考えてる段階ではとってもむずかしい。

それまでにネットで入り口となる知識を仕入れ、

そこで入手した書籍や人の情報から本屋や図書館へ行く、電話取材する。

そして最初より自信を持って面白いと言えるのであれば上司に相談です。


フリーランサーの場合は財布とスケジュールと相談でしょうか?

この点は自由度が高いフリーの方のほうがフットワークが軽いかな。

一方の組織は、一旦GOが出るとオーソライズされた肩書きと財力いう

強力なブーストがあります。


ネットで触れる経験者の言葉、

何千万画素かの写真・ムービーで見る景色と、実際は全く違います。

そこで新たな価値に気づいたり、その価値の本質に気づく。

残念な場合はたいしたことないことを知る。

 

使ったことのないものや行ったことのない場所についての記事を書くというのは、

非常にリスクを伴う作業だと思います。

たとえ英語やスペイン語が堪能だったとしても、

現地に行ったことのない人がマチュピチュやウユニ塩湖を語っても、

本当に現地を訪れた人や、現地のガイドと同じものを伝えることは無理でしょう。

そこが記事がゴマンと溢れる有名な観光地であっても、どこかで綻びが出る。

そういうものだと思います。

そして、これは現在ネットメディアだけでなく、既存メディアでも、

この問題について危機的な状況にある気がしてなりません。

 

 

書き手の目線(こだわり)と、読み手の目線(ニーズ) 

情報は、発信者と受信者がいるものです。

書き手(発信者)の思いと読み手(受信者)の思いが特に競合するのではないか。

書き手のエゴや自己満足の記事なんか読みたい人はいない。

読み手や世間のニーズに迎合した記事ばかりではメディアの死だ。

色んな考えがあります。

これについて少し書いてみます。

 

自分のこだわりを入れる

客観的なニュース配信をされている方や、

原文に忠実な翻訳記事を書いている方などは例外となりますが、

レビューや自身の経験からのことを書く際は、自分がそれに何を感じたか。

自分の考えを盛り込むことが大切だと思います。

 

テレビのドキュメンタリーや、雑誌の記事でも同じです。

もちろんねつ造は絶対にダメですが、徹底的に事実のみを伝えるのではなく、

事実の中で、ディレクターや執筆者が何に感銘を受けたかが大切。

この出来事の具体的に何を伝えなければという衝動を感じたのか、

記事にして読者に紹介するにあたって、このご飯を食べた自分は何を感じたか、

それが無ければ自分がその番組・記事を書く意味がありません。

そしてその「作品」の価値は無に等しくなってしまう。

これは私が本業をしているときも、兼業で文章を書いている時にもぶち当たる、

とても難しい課題です。

 

読み手のことを考える

いまの時代の情報発信者が求められるのは、

受け手のニーズにこたえる情報を発信する、ということ。

さらにそこに、即効性や即時性が求められたりするから大変。

また、ニーズも顕在のものと潜在的なものとある。

そして何より、ネットメディアの登場によって情報発信者の数が爆発的に増えたので、

その中で勝ち抜くような発信の仕方をしていかなければならない。

大変な時代です。

既存メディアもそのニーズの変化や生き残りの競争に参加しています。

ただ、まずは読みやすい、観ていてすぐ理解できる構成であること。

そして何を伝えたいかもはっきりしていればよい。

 

つまり、書き手のこだわりと読み手のニーズへの配慮は、

必ずしも競合しないということです。

こう書いてしまうと違うものになるかもしれませんが、

ビクビクしながらブログ書きたくないでしょう。

伝えなきゃ!と思ったことを書きましょうよ。笑

 

 

ネット軽視への反発、新たな情報源として

ここまで、

「ネットを過信しすぎるな、足を使え足を」

的なことを書いてきましたが、

私はネットでのリサーチの有用性をとても強く感じています。

即時性双方向性という特徴は、他の情報源と比べて抜きんでている強みです。

この2つだけでも、ネットという知の集積を軽視すべきではないと断言できます。

ただ一方で、既存の足を使った取材を凌駕できるとも思っていません。

 

ネットの領域が浸食を始めていますが、

まだ過去の知の集積は書籍が圧倒的な強みを持っています。

そして作品を作る者にインパクトを与えるもので、

当事者の声と現地の空気に勝るものはないでしょう。

 

しかし、行ったことのない場所についての知識や、

これから行こうとしている場所の事前のリサーチとして、

専門家とは異なる視点で書かれた大量の情報を得ることが出来ます。

 

要は組み合わせです。

ネットの即時性と双方向性、時に網羅性、

既存メディア(特に書籍)の安定性、

当事者の生の声、そして現地の空気感。

今の時代はこれらの全て揃わないと不足があると思います。

 

そして今後は、ネットリサーチでヒットする情報が、

少なくとも書籍のそれに比肩する時代が遅くないうちにくると思っています。

そのためには、このブログすら含まれるのですが、

情報の発信者がその内容に責任とこだわりを持っていることが求められます。

その時に、自らが発信するネットの情報の価値を高めるために、

これまで既存メディアがその信ぴょう性と信頼性の根拠としてきた、

当事者や現地から感じ取るの「生の感じ」をネットの世界に入れてあげること。

これがネットメディアで生きる人の今後やっていくべきことの一つである、

そして既存メディアが改めて思い出すべき大事な要素だと、思っています。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

恐らく私が今回ここで書いたことは、

インフルエンサーになるような著名なブロガーさんやフリーライターさんが、

前から言っていることだと思います。

無名で匿名のブロガーではあるものの、

一応メディアの人間である私が言うことに一応意味があるかなー、と。笑

 

ただ一方で、有名なブロガーさんやクリエイターさんの中には、

既存メディアを悪の塊か何かの様にそのすべてを否定する人もいます。

そこについては

「それは違うかな。だって既存メディアの人間も十分そこはわかっているし、

同じように、ネットメディアの世界の人たちもわかっているけど

何か流している課題なんかは、こちらも気付いているんだよ」

ということや、

「実は既存メディアの人間のうちの30%くらいはネットメディアに

本格的に進出していて、なんやかんや双方の問題や長所なんかを考えているんだよ」

といったことがお伝えできていればと思います。

 

まあ、そんなこと言ってここではまた

ワインやスペイン語、サッカーの話ばっかり書いたりするんですけどね。笑

 

では!

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